10月初頭、東京出張に合わせて群馬県館林市へロヒンギャ難民の方に会いに行ってきました。館林市は、私が生まれ18歳まで過ごした街です。現在、日本に暮らすロヒンギャが一番多く暮らす街になっているという事実は最近知りました。
土曜日夜の礼拝後、パキスタンムスリムの方からロヒンギャのヤシンガフールさんを紹介して頂きました。彼は20年程前に来日、18年前に難民認定を受け奥様と3人のお子さんと館林で暮らしているそうです。
~在日ロヒンギャの状況や生の声を伺ってきました~
現在日本に住むロヒンギャは330人程度、そのうち館林市には260人程度が住んでいます。その中で、難民認定を受けられた人は18人のみ(館林での人数と思われる)、ミャンマーが民主化した2012年以降は新たな難民認定者は2014年に2名程でそれ以降認定は下りてない模様です。また、長期滞在者でも13人が仮滞在許可のみで就労も出来ない状況にあると話していました。新たに館林に来日したロヒンギャは昨年3名のみで、ここ5年間ほどは他に来られてない状況です。
日本の難民認定率は0.2%年間20名程度、シリアやロヒンギャの難民も難民認定がほぼ下りない状況を考えると、日本に助けを求めたいと思う人はいないのも理解できます。
アウンサンスーチー氏の話をすると、現在は彼女を信用していない軍事政権と同じとしか考えられず期待は出来ないと失望感を露わにしています。将来的な希望は何も考えられず、ただ子供たちの将来を思うばかりだと。子供たちは日本で生まれ日本の学校に通っているため、将来も日本での生活を望んでいる。もちろんミャンマーのラカイン州が安全で戻れる状況に回復したら、戻りたい気持ちも心にはあるが、そんな日が来るか現在期待は一切持てないと語っておられました。
ロヒンギャ難民問題はレポートに書いた通り、簡単に解決できる問題ではないと思われます。外務省の「ミャンマー国の内政干渉しない」方針には一国の立場としては一定の理解は出来ますし、アウンサンスーチー氏に過度な要請を行うのみで解決できることではないと考えられます。
日本政府は、日本国内で出来る支援を行うべきと考えます。本来の意味での難民に対し難民認定を行い安定した生活を保障することで、日本の国際社会に対する協力姿勢をアピールする必要はあると思います。
そして、その後に必要になってくることは難民が日本人として生活していく上で、地元地域の一員として生活していく地域コミュニティを活性化させることとが必要です。(多文化共生社会の実現)
今回、館林のお店や友人に、ロヒンギャのことモスクのことを聞いても、ほとんどの人がよく知らないという状態でした。モスクでも日本語が聞かれるのは子供達の会話のみで、日本語を話せる大人は殆どいない状況でした。もちろんカタコトは話せましたが。
同じ地域に住みながら、コミュニティは全く別の生活を送っているのではないかと心配になります。コミュニティ関係の話は聞けて無いので、今後地域行政も含めて話を聞きたいと思います。
ミャンマー内政については、ミャンマー政府はロヒンギャをバングラデシュからの不法移民の外国人との認識を変えていません。また、ミャンマー上座仏教徒組織もウィラトゥを筆頭に反イスラムの姿勢をますます強めています。
この状況を変えるには、ミャンマー国民の更なる民主化による多文化共生意識の向上、平等意識を持たなければ変われない状況になっていると思います。
国連常任理事国総意での指導でも出来れば、強力な圧力にはなりますが、各国の思惑があり100%それは無理な話だと思われます。
軍事政権からの脱却、政教分離政策が出来ない限り、差別の払拭や内戦の終結は出来ないことでしょう。
現在のバングラデシュに脱出したロヒンギャは100万人にまで増えているとも言われてきました。また、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプ内でアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)の訓練活動が密かに行われているとの話も聞かれてきています。今後も予断を許さない状況が続きそうです。
今回の館林訪問では、ロヒンギャの方々が館林は住みやすくて好きだと言っていただけたことは、地元生まれの人間として嬉しい限りです。今後どんな形でも関わっていけたらと思っています。
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